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礼拝宣教要旨   2015年2月15日(日)   福田勝敏牧師

主題「キリストについての証言」 聖書:ヨハネ5:31~47
 
ベテスダの池で奇跡をおこなわれたイエスに対して、多くのユダヤ人たちは、安息日に癒しの業を行ったイエス、「床を取り上げて歩け」と言ったイエスは神の律法を破る罪人であるとして、激しく怒り、抹殺しようとし始めました。
 そのユダヤ人たちに対してイエスが語られた内容は、イエスこそキリストであり神の子であることを三人の証人の証言を語っておられます。

1、バプテスマのヨハネの証言   33~35節
 バプテスマのヨハネは「キリストでもなく、エリヤでもなく、またあの予言者でもないなら、なぜ、あなたはバプテスマを授けているのですか」(ヨハネ1:25)とユダヤ人たちに尋ねられた時、「その方は私の後から来られる方で、わたしはその方のくつのひもを解く値うちもありません。」(ヨハ1:27)と答え、その後イエスが来られた時「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1:29)と証言しました。その翌日にも「見よ、神の小羊」(ヨハネ1:36)と言っています。
 多くのユダヤ人たちは、バプテスマのヨハネはキリストかエリヤの再来だと思っていましたから、このヨハネの証言は大きな意味と力を持っていました。それで、イエスは初めにヨハネの証言を取り上げられたのです。
 そしてイエスは言われます。「彼は燃えて輝くともしびであり、あなたがたはしばらくの間、その光の中で楽しむことを願ったのです。」(5:35)、つまりイエスはヨハネが、神から遣わされて、神の御心に従うことの大切さ、罪を悔い改めてバプテスマを受けることの重要さを語り、神の子イエスの歩みを燃えて輝く光のように照らし出す役目の人であったことを語っておられるのです。

2、天の父なる神の証言    36~38
「しかし、わたしにはヨハネの証言よりもすぐれた証言があります」(36)と、イエスは語っておられます。つまり、父なる神がイエスを此の世に遣わされたことをあかしする方法として、イエスが神と同じ権威を持ち、病をいやす力、様々な奇跡を行える力、このこと自体が父なる神の証しです。さらに、イエスがバプテスマのヨハネからバプテスマを受けられたとき「これはわたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」(マタイ3:17)との声がありました。これこそ父なる神の証言です。
 しかし、当時も今もイエスを神の子のキリストであると信じる人が少ないのですが、それは「父が遣わしたものをあなたがたが信じないからです。」(ヨハネ5:38)

3、聖書の証言    39~47
「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。」(39)とイエスが言っておられます。アウグスチヌスは「旧約聖書を読んで、そのうちにキリストを認識できない人は、とてもその聖書の意味は分かりません」と言ったと伝えられています。
 ユダヤ人たちは、旧約の律法を守ることで人からの栄誉を求めました。イエスが話された、ルカ18:9~13に登場するパリサイ人と取税人は、旧約聖書をどんなに読んでいても、理解していると思っていても、神を理解できているとは言えません。
 それは現代も全く同じです。自分は誰よりも聖書をよく読み、理解しているように思っている人も、人の前に高ぶり、人からの誉れを求めているなら、それはイエスの当時のユダヤ人たちと同じであって、本当にイエスの十字架の意味と復活の祝福を理解することはできません。
 「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です」(Ⅱテモ3:16)とあるように、私たちが心を低くして神の御心を求めて聖書を読むならば、罪を示されて悔い改め、イエス・キリストご自身を知ることができるのです。
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