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礼拝宣教要旨    2015年3月1日(日)   福田勝敏牧師

主題「恐れることはない」  聖書:ヨハネ6:15~21
 
少年の持つ5つパンと2匹の魚で男の数だけで5千人以上に天からの給食をされたイエスでしたが、ここでは今一度大きな奇跡を見せられました。イエスはパンの奇跡の後、多くの人々がイエスを王にしようとしているのを知って、弟子たちを船に乗り込ませ、ご自分は山に退いて祈り始められました。この個所から学ぶためには、マタイ14:22~34とマルコ6:45~51を読むことが大切です。

1、山で祈られるイエス
 イエスは、1万人にもなろうかとする大群衆に天からの給食を振舞われた後、弟子たちに残りのパンくずを集めさせ、後片付けをさせられた後、弟子たちを休ませるためだったでしょうか、または、再度大きな学びをさせる為だったでしょうか、弟子たちを舟に乗り込ませて、ご自分は祈るために山に退かれたのです。
 イエスは何故弟子たちだけで、突風の吹き荒れるガリラヤ湖にやられたのでしょう。ご自分は何をしておられたのでしょう。「イエスは、弟子たちが、向かい風のために漕ぎあぐねているのをご覧になり、夜中の3時ごろ、湖の上を歩いて、彼らに近づいて行かれたが、そのままそばを通り過ぎようとのおつもりであった」(マルコ6:48)とあります。イエスは、弟子たちのすべてをご存じだったのです。山の上からも一切を見ておられました。そして、彼らのために祈っておられたのです。夜中の3時ですから、普通は見えるはずのない状態ですから、ここにもイエスの神としての御力を見せられます。
 時に、私たちもこの世界という荒海に、人生の小舟で漕ぎ出して嵐に遭遇しているように恐れ、苦しみ、悩む時、神が分からず、イエスも見えず、イエスのご臨在が信じられなくなる時があります。しかし、イエスはすべてをご存じなのです。そして私たちのために父なる神にとりなして祈ってくださっているのです。そして、イエスの側から近づいてきてくださいます。

2、神の顕現
弟子たちは、暗やみの水の上を歩いて近くに来られたイエスを見て「『あれは幽霊だ』と言って脅えてしまい、恐ろしさのあまり、叫び声をあげた」(マタイ14:26)のですがイエスは「わたしだ(エゴー・エイミ)。恐れることはない。」と言われました。
イエスは、弟子たちがどのような状況の中にいるのか、どのような心境にあるのか全部ご存じの上で、近づいて声を掛けられたのです。マタイとマルコの記事では「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」となっています。文語訳聖書のマタイ、マルコでは「心安かれ、我なり、おそるな」です。                 イエスは「わたしだ」と言われましたがここで使われたギリシャ語は「エゴー・エイミ」で、英語の「アイ・アム」の意味ですが、ここでは「単なるわたし」ではなくこのうしろに付くはずの「全能の神」が省略されています。つまり、大群衆への給食も、水上の歩行も全能の神の御力によってなされたことが示されているのです。
私たちの苦しみ悩み悲しむ時にも、このお方が「エゴー・エイミ(わたしだ)」って近づいてくださるのですね。

3、イエスを迎えた弟子たち
 幽霊だとさえ思った弟子たちも「心安かれ、我なり、恐るな」声を掛けられて、大きな安心と喜びに満たされました。
 マタイを見ると、ペテロに至ってはイエスだと分かると「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください」と頼みます。するとイエスが「来なさい」と言われたので、彼は水の上を歩いてイエスの方に行ったのですが、途中で風を見て、こわくなって、沈みそうになり「主よ。助けてください」と言ったという情けない記事も残されています。
 そして、イエスが舟に乗り込まれると、風がやみ、船は目的地に無事につきました。
 私たちも、イエスがそばに来てくださってお声を聞かせてくださっているにもかかわらず、イエスを船の外に置いているのではありませんか。そしてなお、風を見て怖がっているペテロのような状況にありませんか。イエスを舟の中に迎え入れるのです。すると波、風は静まります。
私たちの心にイエスが乗り込んで下さっているでしょうか。あなたの罪をゆるすために身代わりとなって十字架にかかって血を流し、死んで葬られ、3日目によみがえって今も生きていて、信じる者に永遠のいのちを与え、私たちがこのお方をお迎えする時に「内住のキリスト」となってくださって、何時も共にいてくださるのです。「エゴー・エイミ(しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない)「平安があるように。我なり。恐るな」「我なり。は、我あり」です。
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