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礼拝宣教要旨  2015年4月26日(日)   福田勝敏牧師

主題「愛の奇跡」       聖書:ヨハネ9章1節~41節
 
先の章でイエスは「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです」(8:12)と宣言されました。そして9章において、生まれつきの盲人の目を見えるようにされ、文字通り世の光として、彼に光を与えられたイエスの姿を見ることができます。

1、神のわざが現れる為
 イエスとユダヤ人、パリサイ人、律法学者の議論の最後は、彼らがイエスに石を投げつけようとしたことで終わりました。その後イエスが弟子たちと道を歩いておられると、生まれつきの盲人に出会いました。
 弟子たちは、イエスに、この人が盲人になった理由を尋ねます。彼らの心の中には、人の不幸は、何らかの罪の結果であるという結論があったのでしょう。確かに、暴飲、暴食で病気を引き起こす場合もあります。また、両親の不摂生が原因で、子に生まれつきの障害が引き継がれるということもあるでしょう。しかし、先祖のたたりや、親の犯した罪の罰を子が受けるということはありません。
 イエスは、この人の盲目という病気の原因は、両親の罪でもなければ、生まれつきですから、当然本人の罪が原因ではないことを示し、その原因を「神のわざがこの人に現れるためです」(3)と言われました。

2、シロアムの池で洗う
イエスは、再度「わたしが世にいる間、わたしは世の光です」(5)と言われ、つばきで泥を作って、盲人の目に塗られました。そして「シロアムの池で洗いなさい」と言われました。BFバックストン師は、これは「信仰を試みられた言葉だ」と言われます。この盲人は、「わたしは世の光です」と言われたイエスのことばを聞いていました。そして、このお方の命令に従ったのです。そして、シロアムの池で実際に洗ったところ、生まれつきの盲人の目が見えるようになったのです。
すると、当然のように彼の身辺に様々な驚きの渦が巻き起こりました。「これはすわって物ごいをしていた人だ。」(8)とか、「その人に似ているだけだ」(9)との騒ぎです。しかし、盲人だった人自身が「私がその人です」(9)と言ったために騒ぎは別の方向に向きました。生まれつきの盲人の目がどうして開いて、見えるようになったのか、治したのは誰か。と言うことです。

3、今は見えるということ
  パリサイ人の中には、イエスが泥を作って目に塗り「シロアムの池で洗いなさい」と言われたのが安息日だったため「その人は神から出たのではない。安息日を守らないからだ」(16)と言い始めました。しかし、いやされた人に「あの人をなんだと思っているのか」(17)と言われると「あの人は預言者です」(17)と答えました。すると、ユダヤ人たちは彼の両親を呼び出して、彼が本当に生まれつきの盲人であったのかどうかを確かめました。
 そして、ついにユダヤ人たちは、実際に癒された本人の「もしあの方が神から出ておられるのでなかったら、何もできないはずです」(33)との論理に反論できなくなり「おまえは全く罪の中に生まれていながら、私たちを教えるのか」と言って、彼を神殿から追い出しました。
 しかしイエスは、彼を見つけて、彼にご自分が「あなたと話しているのがそれです」と語られると、彼は「主よ。私は信じます。」と告白してイエスを拝しました。
 イエスは、この一連の流れの中で、この盲人に罪がないと言われたのではありません。病気が罪の結果だと思っている人たちに対して、神のわざが現れることのすばらしさを示されたのです。
 イエスは、この盲人のためにも十字架にかかり、罪の贖いをしてくださるお方です。そして3日目によみがえって、信じる者に永遠のいのちを与える保証となってくださったのです。
 私たちも、「自分はどんな罪を犯したからこんな病気になるのか。こんな大きな困難に出会うのか」と言うような思いになるのではなく、自分を通して神様のわざがあらわされることを祈り、求めることが大切なのです。神様の真実が見えない盲目の状態から、イエス・キリストの十字架と復活を信じて「今は見えると言うことです」と言える者としていただきましょう。
 そして、病気や困難で苦しんでいる人たちのために祈り、慰めることのできる者にしていただきましょう。花の日の訪問はこのことの一助ともなるでしょう。さらに、こうした記念の日のみでなく、わたしたちが神の祝福を持ち運ぶ器としていただきましょう。 そこに小さくても、愛の奇跡が生まれるのです。
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