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礼拝宣教要旨    2015年5月31日(日)    福田勝敏牧師

主題「救い主の入城」    聖書:ヨハネ12章12節~19節
 
イエスによって復活させていただいたラザロの周辺には様々なことが起こっていました。これは、イエスを信じた人々に共通して起こることです。それらのことについて、バックストン師は「主に愛されました」(ヨハ11:5)、「死から復活させられました」(ヨハ8:36、11:44)、「人々を主に導きました」(ヨハ12:11)、「主との交わりがゆるされます」(ヨハ12::2)、「主のために迫害を受けます」(ヨハ12:10)と語っておられます。
 ここで、ラザロが殺されそうになっている状態が記されています。日本でも豊臣秀吉の時代の1597年には長崎において、12歳と13歳の少年を含む26人が処刑されたことは有名です。
 これらの迫害はなぜ行われたのでしょう。それは主イエスの御力を恐れた当時の為政者たちによるものでした。使徒の時代、ローマの時代、日本のキリシタンの時代も同じです。
 しかしそれでキリスト教は消滅しませんでした。むしろ、救われる者が加えられ、今日にまで至っているのです。

1、子ロバに乗って入城
 軍馬ではなく、貧しく弱く、見栄えのしない子ロバに乗ってエルサレムに入城されました。
 これは、平和の君としてのお姿を示しておられるのです。イエスは、力を持って勝利をしようと思われれば天の軍勢をもって世界の王として君臨することがおできになる方でした。しかし、主イエスは無抵抗な子ロバに乗って来られました。

2、王としての入城
謙遜な人の子、しもべの姿のままで来てくださった主イエスですが、人々は「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に」と叫びながら主イエスをお迎えしたのです。
これは主の再臨の予表でもあります。主イエスはやがて、この世の終わりにこの世の一切をさばき、滅ぼし、新しく造りかえるために来てくださいます。そのときには、神の全能の御力に満ちたお方が天使のラッパの音とともにおいでになりますが、その時の予表でもああります。

3、十字架に向かう入城
 この時の主イエスの入城は、時の権力者を懲らしめ、滅ぼすための入城ではありません。主イエスの目は十字架に向けられていたのです。主イエスは何度イスラエルをあわれみ、救いに導こうとされたことでしょう。
 そのために、自らの身の危険を顧みないで神の国について語られました。また、多くの奇蹟を行われました。しかし、イスラエルの人々、エルサレムの都の人々は誰もイエスを信じようとしません。特に為政者たち、宗教の指導者たちは信じないばかりではなく、主イエスを殺そうとしていました。そのために主イエスは、最後の救いのわざである十字架の道に進まれたのです。
この十字架の道は、逃れようと思えば逃れられる道でした。しかし主イエスは、自らその道に進んで下さったのです。
 それは、世界の人々を、わたしを、そしてあなたを救うためでした。主イエスが子ロバに乗って入城されたのは日曜日でした。
そして、主イエスが十字架に架られたのはその週の金曜日でした。この金曜日の群衆は「除け。除け。十字架につけろ」と叫んでいます。
 気を付けなければ私たちの心にも、今主イエスをほめたたえる心を持っていても、「イエスを十字架につけろ」と叫んでしまいそうな弱い部分があります。ペテロや弟子たちがそうでした。
 それでも主エスは、十字架の上で「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです」(ルカ23:34)と祈ってくださいました。
 あの殉教者たちのような強い信仰者ではありません。すぐに心変わりをしてしまって主イエスを裏切ってしまう者ですが、最後まで愛し通してくださった主イエス様を信じ、愛して、このお方を自分の心にお迎えしたいものです。
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