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礼拝宣教要旨   2015年6月14日(日)   福田勝敏牧師

主題「イエスは道、真理、いのち」 聖書:ヨハネ14:1~15
 主イエスは、前の章でイスカリオテ・ユダに対して「あなたがしようとしていることを、今すぐしなさい。」(13:27)と言われ、ペテロに対しては「あなたは三度わたしを知らないと言います」(13:38)と言われ、ご自分が兵士と、祭司長、パリサイ人たちから送られた役人たちに捕えられ、苦しめられて、十字架につけられることを予告されました。
 そしてさらに、最後の晩餐のこの14章から17章にかけて、弟子たちと共に現代の教会に対しするメッセージを語っておられます。

1、心を騒がせるな
主イエスは、弟子たちに対する最後のメッセージの冒頭に「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい」と言われました。主イエスは、自分がこの世から去って行った後に、弟子たちが混乱しないように前もって励ましのお言葉をかけられました。
 私たちは恐れやすく弱い者です。その弱いわたしたちに「心を騒がせるな」とお命じになりました。しかし、27節では「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるものとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」と言って、命令と共に平安の約束を与えておられます。

2、わたしが道であり、真理であり、いのちなのです
 主イエスは、ご自分が弟子たちのもとを去って、父なる神のもとにお帰りになるために「心を騒がせるな」「あなたがたに平安を残します」と言われました。しかし、弟子たちはそのイエスが行こうとしておられる「道」がどこに通じる道なのか理解ができなかったのです。このような弟子たちの疑問に対して「わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはできません」とお答えになりました。私たちがイエスを信じているということは、天の父である神の御許に行く道を歩ませていただいているということなのです。
そして、父の御許に行く道は、「真理」であると主イエスは言われます。真理とは時代によっても、社会の思想によっても、政治形態によっても変わるものではありません。天地の創られた時から、天地の滅びるまで決して変わらないものです。また、イエス・キリストを信じて与えられた新しい「いのち」は、天にいます父なる神から与えられた永遠不変のものです。

3、イエスと父はひとつ
 主イエスは「わたしたちに父を見せてください」と言ったピリポに対して「わたしを見た者は、父を見たのです」と答えておられます。
 ある人が「わたしは神様を信じる」と言われると分かる気がしますが「イエス・キリストを信じる。ということがよくわかりません」と言っておられました。そうだと思います。そこに聖霊なる神様について語られると、ますますわからなくなるというのです。
 確かに、この三位一体の教理は分かりにくいものです。しかし聖書は、神が天地創造のなかで人間を造られるとき、「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて」と言っておられることが記されています。つまり、神は天地創造の時から三位一体でおられ、父、子、聖霊なる神なのです。
 私たちはこの三位一体の神によって救われ、導かれているものです。主イエスの道を踏み外すことなく歩み、変らない真理に生かされ、罪ゆるされ、永遠の滅びから永遠のいのちに生かされた喜びに満たされて歩んでいきましょう。
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