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礼拝宣教要旨     2015年6月28日(日)   福田勝敏牧師

主題「神の戒めは愛」      聖書:ヨハネ15:1~17
 
今日のテキストの箇所は有名なみことばが出てくる箇所です。「わたしはぶどうの木であり、わたしの父は農夫です」「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。私から離れてはあなたがたは何もすることができないからです。」「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。」そして、「あなたがたが互いに愛し合うこと、これが、わたしのあなたがたに与える戒めです。」などなどです。
 主イエスは、わたしたちをまことのぶどうの木である主イエス・キリストに繋がる枝であると言ってくださいます。

1、刈り込みをされる枝
 私たちは、イエス・キリストの十字架と復活を信じ、罪を悔い改めることによって、罪ゆるされ、神の育てられるぶどうの枝とされます。
 しかし、神の求められる実を結ばないときには、実を結ぶように刈り込みをされるというのです。つまり剪定をして、いらない枝を切り取られるのです。そして整えて、神に喜ばれる実を結ぶことのできる枝にしてくださいます。私たちは常に祈りをもって、自らの罪、汚れを神の前に悔い改め、剪定をしていただくことが大切です。

2、キリストに繋がる枝
 主イエスは「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です」と言われました。そして、このお方に「とどまっていれば実を結び、とどまっていなければ枝のように捨てられて枯れます。」と言われます。主にとどまるということは、主のみ言葉が私たちのうちにとどまっていることだとも言われます。
 そうです、わたしたちが実を結ぶということは、何か大きなことをしなければいけないのではなく、キリストに繋がり、み言葉に従い、キリストの愛のうちにとどまる時私たちはキリストの喜びに満たされ、実を結ぶことができるのです。

3、互いに愛し合う枝
 キリストに繋がり、キリストの内にあり、キリストが内に住んで下さる枝は、お互いに愛し合う枝だと言われます。愛し合うということは、一方的に愛を求めることではありません。互いに愛し合うのです。
 私たちは、時に人の過ちを許せず、自分の常識で裁こうとしてしまいます。しかし愛するということは、先ずその人のために祈るのです。また、自分にも何かあやまちはないかと反省することも大切なのです。
 マタイ7章1節に「さばいてはいけません。さばかれないためです」とあります。愛をもって見る時、同じ出来事も違って見えるものです。
 キリストの戒めは、「互いにさばきなさい、自分の常識、自分の義で他者の間違いを正しなさい」とは言われません。「あなたがたが互いに愛し合うこと、これが、わたしのあなたがたに与える戒めです」と主イエスは語っておられるのです。
 私たちは、キリストの枝としていただいている愛すべき兄弟姉妹のために祈り、助け合い、励まし合いつつ、御霊の実である「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」(ガラ5:22,23)という実を結ぶ者とさせていただきましょう。
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