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礼拝宣教要旨    2015年 8月2日(日) 福田勝敏牧師

主題「神の子を裁く人々」 聖書:ヨハネ18:28~40
 
17章では、主イエスがわたしたちの祭司長として、私たちのために父なる神に祈ってくださっていることを教えられました。
 18章では、祭司長であるお方が、いけにえの小羊として十字架につけられるために、不当な裁判を受けられたところです。
 直前まで、父なる神と親しく会話し、祈っておられた主イエスは、これからサタンの激しい攻撃に立ち向かっていかれることになります。しかしこれも、私たちの救いの完成のための戦いです。

1、ゲッセマネでの祈り
 主イエスは、弟子たちに告別メッセージをし、父なる神に祈り、それから弟子たちといっしょに祈ったり、話し合ったりしておられたケデロン川の向こう側にあるゲッセマネの園と呼ばれるところに行かれ、もう一度、父なる神に苦悶の祈りをささげられました。ヨハネはゲッセマネの祈りの様子を詳しく書いていませんが、他の3福音書はこの時の祈りがどのようなものであったかを記しています。マタイ26:38~46、マルコ14:32~36、ルカ22:39~45。特にルカの福音書はその様子を明確に記しています。
 「この時の主イエスの祈りは、霊的十字架の苦しみである」と表現する方がいるほどの苦悶の祈りでした。しかし、この時の弟子たちは主イエスといっしょに祈ることができず、寝てしまっていたのです。

2、イエスの捕縛
 主イエスの最後の祈りが終わった時、イスカリオテのユダに先導された兵士、祭司長、パリサイ人がイエスのもとに来ました。彼らは、ユダがイエスに口づけするのを合図にイエスを捕える為でした。
 そして、主イエスが「だれを捜すのか」と問われ、彼らが「ナザレ人イエスを」と答えると、主イエスが「それはわたしです」と言われると、彼らは後ずさりして地に倒れた。とあります。イエスを捕えようとした彼らは、イエスの威厳に押されて倒れるほどだったのです。
 その後、主イエスは自らその身を差し出され、ユダに先導されてきた人々は、イエスを捕縛しました。

3、不当な裁判の数々
主イエスは、当時の法律でも不当裁判である夜中に「アンナスの裁判」(ヨハ18:13)、「カヤパの裁判」(ヨハ18:24、マル14:53)、「ユダヤ議会の裁判」(マタ27:1、マル15:1、ルカ22:66)、「ピラトの裁判」(ルカ23:1)、「ヘロデの裁判」(ルカ23:7)、「ピラトの2回にわたる裁判」(ルカ23:11、ヨハ19:13)を受けられました。
たらいまわしのようにされた主イエスが、朝になって総督ピラトのもとに送られてきましたが、ピラトもまた、決定的な判決を下すだけの証拠を見出すことはできませんでした。そして「私は、あの人には罪を認めません」と言い、さらに「彼らがねたみからイエスを引き渡したことに気づいていた」(マタ27:18)にもかかわらず、当時のイスラエル議会の指導者たちに扇動された群衆の声に負けて、本来十字架にかけるべきバラバを赦し、主イエスを十字架につけるために引き渡してしまったのです。
しかしこれは、ピラトや当時の権力者の間違いというより、神のみこころが行われたのです。ペテロが大祭司のしもべマルコスの耳を切り落とした時「剣をさやに納めなさい。父がわたしに下さった杯を、どうして飲まずにいられよう。」と主イエスが言っておられるとおりです。
そして、神の子イエスを裁判にかけた人々も、優柔不断な権力者も、バラバも、みんな私たちの姿なのです。
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