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礼拝説教要旨  2016年 7月 3日 宣教 福田勝敏牧師

礼拝説教要旨  2016年 7月 3日 宣教 福田勝敏牧師

 使徒の働き22章で、ダマスコにいるクリスチャンを迫害するために出かけたパウロが、ダマスコ近郊で復活のキリストに出会って、新しく生まれ変わらされたことを証ししましたが、ここでもアグリッパ王の前で同じあかしをしています。そしてここにパウロの狂気的熱心とも言われる思いが語られています。パウロの篤い思いとはなんでしょう。
1、事実の力
 それは、事実に基づくものでした。パウロは、自分の救いの体験を何度も語っています。大迫害者であったパウロが主に捕えられ、罪を赦されただけでなく、キリストに召し出されて、伝道者の使命を与えられ、キリストを宣べ伝え、キリスト教のパウロか、パウロのキリスト教かと言われるほどに、キリスト教の理論武装とも言うべき教理を書き残す人になったのです。何がそこまで彼を作り変えたのでしょう。だれかの教えによったのでもなければ、だれかに説得されたわけでもありませんでした。彼がダマスコ郊外で復活のキリストに出会ったという事実が彼を見事に変えたのです。
 私たちも、それぞれ救いのあかしがあるはずです。かつては罪に捕らわれて、悪魔の支配下に置かれ、暗黒の中を歩んでいたものがイエス・キリストに出会い、十字架と復活を信じて罪ゆるされ、滅びから救いに、死からいのちに生かされたはずです。
 このひとりひとりの体験はだれも真似ることはできませんし、真似る必要もありません。ただ神が私たち一人一人に与えられた特権なのです。パウロのように、私たちも与えられたあかしを何度でも思い返し、何度でもあかしをしたいものです。
2、神に願うこと
 パウロはこのあかしを何度も何度も繰り返しています。彼にはこのあかしを通して、多くの人々が自分のようにクリスチャンになってほしいとの願いがあったのです。彼はアグリッパ王に対して「私が神に願うことは、あなたばかりでなく、きょう私の話を聞いている人がみな、この鎖は別として、私のようになってくださることです」と語っています。ここにユダヤの王の前に裁かれている囚人の卑屈さなどはありません。むしろ、王に対して自分のあかしを通して、伝道しているのです。
 今日ここに集っているお互いも、イエス・キリストを信じて喜びと感謝の生活を送っておられると思いますが、その喜びを知らない人々にあかしすることで、ひとりでも多くの方々が、キリストの十字架と復活の力によって、霊の目を開かれ、罪を悔い改めてゆるされ、暗黒から光に移され、サタンに捕らわれている人が解放されて神の恵みの中に移され、罪の赦しと聖潔の恵みを受けて、「私たちの国籍は天にあります」(ピリピ3:20)と言える、天国の市民としていただける方々が起こされることを神に願う者にしていただきましょう。
3、謙虚な心と大胆な心
 パウロは自分のあかしをした後に、アグリッパ王に対して単刀直入に「あなたは預言者を信じておられますか」と迫っています。この時のアグリッパ王は戸惑いをもって「あなたは、わずかなことばで、わたしをキリスト者にしようとしている」文語訳聖書の前の元訳聖書では、預言者を「預言者の書(ふみ)」と訳してています。また、「わずかなことばで」は「容易(たやすく)」となっています。私たちは、常に聞く方々を謙虚な気持ちで愛すると共に、時には大胆に救いの福音をお伝えしたいものです。
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