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礼拝宣教要旨   「心が内に燃える」    (2013年4月7日)

  聖 書:ルカの福音書24章25節~34節    宣教 福田 勝敏牧師
 本日のテキストは、イースター当日の午後の出来事で、13節から続いています。イエス様が復活された日の午後、二人の弟子がエルサレムから約11キロほど離れたエマオという村に向かっていた時の出来事です。

1、目がさえぎられていた
 この弟子たちは、イエス様の復活の出来事について話し合い、論じ合っていたと言います。彼らは墓に行った女性の弟子やペテロ、ヨハネたちの語ったことについて語り合っていたのでしょう。
 すると、復活されたイエス様が彼らと歩調を合わせて一緒に歩き始め、二人の会話に入ってこられたのです。そして、イエス様がこの会話の主導権をとって話し出されました。
 それでも、彼らは今いっしょに話しておられるのが復活されたイエス様であることが分からないのです。わたしたちも、教会での集会の中に、友人との会話の中にイエス様がともにおられることに気づかないでいる場合が多くあります。復活されたイエス様は、あなたが気付かなくても信じる者といつも一緒にいてくださるのです。

2、目が開かれた
 心の鈍い弟子たちも、一緒に話しているお方がイエス様であることに気づく時が来ました。それはイエス様が彼らと一緒に宿に入って、食事の席でパンを取って、祝福し、裂いて彼らにお渡しになった時です。この姿は、イエス様が十字架にかかられる前夜、最後の晩餐をされそこでパンを裂かれた時と同じだったのです。
 ここで、わたしたちクリスチャンにとって聖餐式の大切なことが教えられます。私たちの霊の目が開かれるのはイエスキリストの十字架を覚え、受け止める時です。わたしたちも、聖餐式のパンをいただき、ぶどう汁をいただく時、主の十字架のお苦しみを覚え、復活による永遠の命の喜びに与らせていただきましょう。

3、心が燃えた
 霊の目が開かれた弟子たちは、心が燃えるのを覚えました。そして、イエス様との会話のことを振り返って見ると、イエス様の語られる言葉に聞き入っていた時、聖書の話しを聞いていた時、心が燃えていたことを思い出しました。
 私たちは、毎日聖書を読み、学び、イエス様との会話である祈りをささげる時、心が燃やされるのです。毎日十字架の主イエス様を見上げ、復活の主イエス様と共に心燃やされつつ、喜びつつ、心を燃やされつつ歩み続けましょう。
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