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礼拝宣教要旨  「神を知る知識」 (2013年6月16日)

聖 書:イザヤ書11章1節~9節         宣教:福田勝敏牧師

今日は父の日です。母の日は1907年フィラデルフィヤから始まり、アメリカの祝日になったのは、1914年5月第二日曜日からといわれ、父の日は、1909年ワシントン州スポーケンから始まりましたが、アメリカの祝日に定められたのは1972年ころだといわれています。私たちは神様が与えてくださった、両親父と母を敬う者でありたいですね。
さて、前章において預言者イザヤは、イスラエルの不信仰の故に神様がアッシリヤを用いて裁かれましたが、アッシリヤがあまりにも残酷で、しかも自分の力を誇るために、アッシリヤを退け、倒されることを預言しました。本章ではさらに鮮やかな選民イスラエルの回復の預言が述べられています。

1、エッサイの切り株
 前章でアッシリヤは、森の茂み、レバノンの大木にたとえられていますが、本章ではイスラエルが切り倒されて、わずかに残った切り株にたとえられています。繁栄を誇り、強さを誇る森であり、大木のようなアッシリヤが完膚なきまでに滅ぼされ、先に滅ぼされて何もなくなってしまっていたと思われる切り株から、新芽が出て成長し、やがて実を結ぶようになると預言されています。
 これは、歴史的なイスラエルの滅びと回復の、現実に起こった記録として残される出来事であり、信仰的回復の歴史でもあります。

2、主を知る知識と主を畏れる霊
 ここでは、先に言われた切り株から芽が出て成長するイスラエルの姿、また信仰的な回復の姿であるとともに、この切り株から出た新芽はエッサイ(ダビデの父)の家系から出現されることになっている、救い主のことであることも合わせた預言になっています。
 このお方こそ神のひとりごイエス・キリストですが、このお方は、神のひとり子でありながら、しもべとなって父である神に従って歩まれたお方です。さらに私たちのために十字架にかかられ、究極の死の苦しみを味わい、葬られ、三日目によみがえられたお方です。御子キリストがそのように歩んで下さったとすれば私たちはなおさら、神を畏れ、敬いつつ毎日の生活を歩むべきです。主を知り、主を畏れつつ歩むときに、毎日の生活の中から、主と人々の前に敬虔な人格が造られていくのです。「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました」(ピリピ2:6~8)

3、栄光に輝く国
 この6節からの表現は、エデンの園で失ったものの回復とやがて神が与えてくださる、黙示録21,22章に約束されている、新天新地の御国を指しています。そして、さらに主を恐れ敬う霊に満たされた者は、この現実の世にある中にもここに表現されているような平安と祝福をいただくことができます。
 私たちは、この世における霊的祝福をいただき、永遠の御国である新天新地への望みを抱きつつ歩ませていただきましょう。
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