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礼拝宣教要旨  「造り主を仰ぐ人」  (2013年8月4日)

聖 書:イザヤ書17章7節~14節         宣教:福田勝敏牧師

イザヤの預言の対象はダマスコ(アラムの首都)とエフライム(イスラエル)に対する、神様のさばきでした。彼らは、全知全能の天地万物の造り主である神を離れ、自分たちの手で造った偶像を礼拝していたことが裁きの原因でした。

1、偶像礼拝の結果
 当時の世界で、栄誉、栄華を誇っていたダマスコの街に人が住めなくなると預言されています。「愚かな者には悪事が楽しみ。英知のあるものには知恵が楽しみ。」(箴言10:23)と言われています。
私たちは、愚かな者と呼ばれる、罪を愛し、神を認めない者にならないで、英知のある者と呼ばれる、神を信じ、罪を悔い改め、知恵の源である聖書のみ言葉に従いつつ歩む者でありましょう。
ダマスコに預言されたように、またイスラエルに預言されたように、神の裁きは私たちの上にも下されます。その裁きは自然災害としてでしょうか、戦争によってでしょうか、今日、これらは現実性をもって迫っています。

2、造り主を仰ぐ人
 主がイスラエルにさばきを行われる日、ようやくイスラエルの人々は造り主である神様を仰ぐようになります。しかし、その時は既に裁きは実行され、エルサレムの町々は荒廃していました。
 イスラエルの人々はこの大きなさばきを経験してようやく、天地創造の神と自分たちの手で造った偶像との差を知らされたのです。現代の私たちはこうした聖書の預言を通して、まことの神と偶像の違いは十分に知らされている者です。迷うことなく、常に、いつでも霊の目を真っすぐに造り主を見つめつつ歩む者でありましょう。

3、神の放任
「あなたが救いの神を忘れて、あなたの力の岩を覚えていなかったからだ、それで、あなたは好ましい植木を植え、他国のぶどうのつるをさす」(10,11)は、新共同訳によると「お前は救い主である神を忘れ去り、砦と頼む岩を心に留めていない。それなら、お前の好む神々にささげる園を造り、異教の神にささげるぶどうの枝を根付かせて見よ。」と訳されています。これは「それゆえ、神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡され、そのために彼らは、互いにそのからだをはずかしめるようになりました。」(ロマ1:24) と言われるように、神が神に背き続ける者を放任された姿です。
 神に敵対していて、何の罪意識も感じないでいるとしたら、それは神に放任された状態であり、大変恐ろしいことなのです。なぜなら、それはやがて神の裁きの日に、大きな嘆きとして襲ってくることになるからです。
 現代の私たちには、キリストの十字架と復活という立ち返るべき道が愛の神様によって備えられています。神に放任されて罪の道を邁進し、永遠の滅びに向かうことがないように、主を見上げさせていただきましょう。
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