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礼拝宣教要旨  「この身をもって」  (2013年8月25日)

聖 書:イザヤ書20章1節~6節         宣教:福田勝敏牧師
 
イザヤ書の舞台となった当時の地中海沿岸の諸国は、エジプトやクシュに関心を寄せ、その力を利用しようとしていましたが、神はアッシリヤを用いて神に背いたエジプトとクシュさばかれました。
 私たちも、自分の判断や常識でこの世の知識や力に頼ってはいけません。大きな問題が起こって、この世の知恵に頼りたくなる時には、先ず神に祈り、より頼むことが大切です。そして悔い改めるべき罪を指摘されたなら心からすなおに悔い改めることが大切であることが教えられています。

1、イザヤの教材
 イザヤは神様から不思議な命令を受けました。3年間裸で過ごすようにということでした。この姿は戦争に敗れて捕虜となった者の姿であり、下級奴隷の姿でもありました。
 これはユダも含めた地中海沿岸の諸国がエジプトやクシュに期待することの虚しさを示しています。この両国は神の預言通り、神に用いられたアッシリヤに滅ぼされて捕囚となり辱しめを受けます。イザヤは自分の恥ずかしい姿を見せることで、そのようになることを象徴的に示し教えているのです。

2、キリストの姿
 主は私たちの罪を示し、その裁きの厳しさ、苦しさを教えるために自ら罪人の姿となってくださいました。イザヤ書53章はまさにその姿を示しています。しかし、イエス・キリストが味わってくださった苦しみは、イザヤが象徴的に示した姿とは違い、私たちが罪の裁きの故に負うべき苦しみ、痛み、受けるべき裁きを身代わりとして負ってくださった姿です。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカ23:34)と祈ってくださいました。
 このキリストの十字架こそが、私たちの罪の身代わりであり、葬られて3日目によみがえられた事実は、わたしたちがキリストによって罪ゆるされ、新しく永遠の命を与えられて、神の子とされる特権に与ることができることの保証です。

3、この身をもって神の栄光を表す
 多くの人々はイザヤの姿を見て、自分たちが依り頼もうとしていた国々の力がいかに虚しいかということを悟ります。私たちは神の御子イエス・キリストの十字架の犠牲という代価によって滅びの世界から買い戻され、新しい命に生かされたのです。
 このことを日々心にとどめ、日々の生活の歩みをキリストに導かれつつ歩みたいものです。多くの人々が私たちの生き方を見て、自分もそのように生きたいという願いが起こされるように、自分のからだをもって、神の栄光を表す者でありたいと願わされます。

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