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礼拝宣教要旨  「神の計画の神秘」   (2013年10月20日)

聖 書:イザヤ書28章16節~19節       宣教:福田勝敏牧師

 イザヤは13章から27章にかけて、「その日」つまり、神の最後の裁きの日には、世界は一つの民となり、真の神を知り、真の神のみを礼拝するようになると語ってきました。しかし、多くの人々には、これはイザヤの希望であり、または思い込みにすぎないのではないか。それとも現実になることなのかとの疑問がありました。
28章から37章はイザヤが、神は歴史を支配されるお方であることを示し、救いの恵みを自ら完成し、全世界の人々に提供しておられることを語っています。

1、酔いどれの誇る冠   1~4
 酒によって現実から逃避し、見せかけの平和に酔い、自分の力に酔っているような者は、元気良くきれいに咲いていても、やがてしぼんでいく花を飾りにしているようなものにすぎない。見せかけの栄誉、栄華の冠は、神の裁きの前には無残に踏みにじられ、しぼんでいく花と同じだと言われるのです。
 確かに現代社会にあっても、様々な事件を通して、この種のひな型を見せられます。

2、神ご自身が冠となってくださる   5~6
 人間の手による冠(成功、富、権力)は神様の手によって裁かれ、滅ぼされます。しかし、民の残りの者(神に選ばれた者)は、何と神ご自身が冠となってくださり、美しい花の飾り輪となってくださると言うのです。
 私たちは、この世において目に見える繁栄や楽しみを求めがちですが、それらはいつどのような形で、一瞬にして取り去られるか分かりません。しかし、それらがすべて取り去られたとしても、なお豊かで誇らしく、喜びを持って神様を信じる信仰に生かされている人は幸いです。

3、尊い隅の石     16~18
 「一つの石を礎として据える」は、イエス・キリストを指しておられます。ここで言われているシオンは、ダビデの町とも呼ばれ、王宮が立てられ、そこに王座が置かれた所であり、祝福の源であり、神の救いの場所でもあります。
 神ご自身がその独り子イエス・キリストを十字架につけて、すべての人々の救いを完成し、死からのよみがえりによって、罪の赦しと永遠の命の源としてくださいました。
 このすばらしい恵を信じる者は、どのような事態が起こっても慌てることはないと言われます。人生の礎石とも言うべき救いの恵みを拠り所にするなら、この地上の最後の審判が行われるときにも慌てる必要がありません。
 もし、十字架の恵みを示されながら、罪にとどまり続けているなら最後の審判は恐ろしいさばきの日となります。
 私たちは自分の努力で救いを全うするのでもなく、頑張って神様に喜ばれようというのでもありません。
 神が自ら用意してくださった救いを信じ、備えてくださる祝福の信仰生活を喜びを持って歩ませていただきましょう。「信仰は楽しく、奉仕は感謝をもって」日々歩ませていただきたいものです。
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