Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://hanourach.blog.fc2.com/tb.php/57-10ac5b12

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

新年感謝礼拝 宣教要旨 「心の一新」       (2014年1月5日)

聖 書:ローマ人への手紙12章1節~3節       宣教:福田勝敏牧師

 新年になって五日目を迎えています。「あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には楽しみがとこしえにあります。」(詩16:11)、「あなたは、とこしえに彼を祝福し、御前の喜びで彼を楽しませてくださいます」(詩21:6)とダビデは神をたたえ、神を喜ぶ歩みのすばらしさを語りました。しかし、ヨブが逆境の中にあって、神が見えなくなったとき、「夜は長く、わたしは暁まで寝返りをうち続ける」(7:4)と言い、また「私の日々は機の杼(ひ)よりも速く、望みもなく過ぎ去る」(7:6)と言います。神を信じて罪を悔い改めて生きる望みをいただいた者と、神が見えなくなって、望みを失った者の違いがここにあります。
 わたしたちは新しい年、どのような思いで迎えているでしょう。神を見上げ「喜びをもって主に仕えよ。喜び歌いつつ御前に来たれ」(詩100:2)と呼びかけてくださるお方の前にいのちの道を歩ませていただく一年としていただきましょう。そして、今年の教団と教会の標語は「いのち溢れる礼拝をささげよう」です。今日から一年52回の礼拝を一回、一回、祈り、備えて、礼拝をささげさせていただきたいものです。
 では、いのち溢れる礼拝とはどのようなものでしょう。み言葉は「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそあなたがたの霊的な礼拝です」(ロマ12:1)と語っています。

1、神のあわれみ
 わたしたちは神のあわれみを受けるために礼拝をささげ、祈りをささげ、ささげ物をし、奉仕をするようなところがあります。
 もちろんそれは間違いということではありませんが、わたしたちの礼拝をはじめ、神に対する姿勢は、常にわたしたちクリスチャンの生活は、神のあわれみに対する応答の生活であるべきです。なぜなら、私たちは神のあわれみがなければ生きることさえままならないものなのです。

2、心の一新
 さらに「あなたがたにお願いします」呼びかけておられます。つまり神がパウロを通してわたしたちに「お願いします」と言っておられるのです。牧師が「礼拝に来てくださいね」って言っているのでもなければ、だれかが「礼拝にはできるだけ出た方がいいよ」って勧めているのでもありません。神様があなたに「霊的な礼拝をささげてください」とお願いをしておられるのです。わたしたちのために、ひとりごイエス・キリストを十字架にかけてまでも救いの道を開いてくださった神ご自身が「お願いします」と言っておられるのです。 私たちは心を一新していただいて神様の御前に出るものでありましょう。

3、霊的な礼拝
 このお願いに対して私たちが答えるとしたら、「からだをささげて」神に仕えることです。ここでいうからだとは、わたしたちの生活の全てを意味しています。旧約聖書にある祭壇へのささげ物とされる犠牲の動物は、傷ついたものや死んだものは許されませんでした。常に、そこにいる動物の一番良いものをささげたのです。
 クリスチャンたちは、キリストにあって罪ゆるされた者として、体も心も共にささげるのです。つまり毎日の生活の中で、神様にすべてをささげつつ生きる時、毎週の聖日礼拝も霊的な礼拝となります。この霊的とは「理にかなった」とも訳すことができると言われます。
 わたしたちは、神様の前にこの世の常識や、自分の経験で神の愛を図ったり、神の前にある在り方を図らないで、私のために十字架にまでかかって、わたしを永遠の滅びから救い出してくださったお方に感謝をもって、すべてをささげる礼拝を毎日の生活で、また聖日の礼拝でささげる者でありましょう。
スポンサーサイト
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://hanourach.blog.fc2.com/tb.php/57-10ac5b12

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。