Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://hanourach.blog.fc2.com/tb.php/69-8ca4950a

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

礼拝宣教要旨   「くすぶる燈心」     2014年3月30日)

聖 書:イザヤ書42章1節~9節        宣教:福田勝敏牧師

本章は、神様に立てられたソロモン王の働きとイスラエル人の神に対する頑固さと共に、キリストの救いとキリストをこばむ罪人のかたくなな心の状態を教えています。

1、しもべとしてのキリスト
 「わたしに仕えるわたしのしもべ」とは、父なる神が主イエス・キリストに対して言われた言葉です。「わたしの心の喜ぶわたしが選んだ者」も、その生涯においてすべて父なり神の御旨に従っておられたキリストに対して語られた言葉です。「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。」(ピリピ2:6~8)
 私たちも神の御子イエス・キリストが、しもべとなって神に仕えられたように従うならば、神は歴代の聖徒たちを支えられたように、責任をもって支えてくださいます。

2、しもべとしてのキリストの働き
 この個所はマタイの福音書12:16~21に引用されていますが、キリストは当時の権力者、宗教家たちとは争われませんでした。また、自分の名声が高くなることを求められず、父なる神の御心を行うことだけに心を用いられました。
 さらにキリストは、「いたんだ葦も折ることをせず、云々」とあるように、「いたんだ葦」つまり弱いわたしたちがさらに痛められて弱り果てて折れてしまわないように心を用い、「くすぶる燈心」のように、今にも消えてしまいそうなときに、キリストはわたしたちを力づけ、再び火を燃え立たせてくださるのです。「燈心」とは、油壺の油に浸した紐に火をつけて周囲を明るくする細い紐のことですが、紐があっても油がなくなると自然に火は消えていきます。しかし、油壺に油を満たすと紐に油がしみて再び燃えるようになります。
 同様に、私たちは聖霊に満たされている時は燃えて輝くことができますが、神に依り頼まず、自分の力や知恵でやっていこうとするとき、私たちはくすぶり始め、輝きどころか嫌な臭いの煙を部屋中に充満させることになります。
 私たちの主イエス・キリストはそんな燈心も、もみ消してしまわないで、今一度愛をもって油を注いで燃え立たせてくださるのです。

3、しもべとしてのキリストの栄光
 キリストは世界の国々の光となってくださるのですが、私たち個人の光ともなってくださるのです。たとい私たちの霊の目が閉ざされていたとしても、キリストはわたしたちの目を開いて、神を見えるようにしてくださいます。「心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから」(マタイ5:8)とイエス・キリストは山上の垂訓で教えておられます。しかし、わたしたちは神を見る条件とされた心はあまりにも汚れて、とうてい聖い者とは言えません。だから神を見ることができません。
 しかしキリストが、わたしたちの罪の身代わりとして十字架で死んでくださり、わたしたちの罪を取り除いて、心を清くしてくださるなら、私たちは心の目が開かれて神を見ることが許されるのです。
 あなたの燈心は消えかかってくすぶっていませんか。あるいは、もともと火がついていませんでしたと言われますか。それなら、イエス・キリストの十字架を仰いで罪を悔い改め、復活のキリストを信じる時、神はわたしたちに新しい油を注いで明るい火を燃え上がらせて、周囲を照らす光にしてくださるのです。「あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れることができません。」(マタイ5:14)。わたしたちは、神様から頂いた光を輝かせて世の中を明るく照らすために、周囲の人々にキリストの栄光を語り伝えるものでありましょう。
スポンサーサイト
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://hanourach.blog.fc2.com/tb.php/69-8ca4950a

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。