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受難週(パームサンデー)礼拝宣教要旨 2014年4月13日(日)

主題「キリストの模範」 ヨハネ13章1節~15節  宣教:福田勝敏牧師
 
日曜日には、棕櫚(パームツリー)の枝を手に持って、大きく振り、自分の上着を脱いで、棕櫚の枝と共に道に敷き、イエスの乗られた子ロバの通る花道を作り、大歓声を上げてイエスをお迎えしたエルサレムの人々でしたが、なんとその週の金曜日には「除け。除け。十字架につけろ。」(ヨハネ19:⒖)との罵声をイエスにあびせ続けました。
 またイエスの12弟子のひとりであったイスカリオテのユダも、イエスを愛の象徴である口づけをもって裏切りました。そしてペテロでさえも、イエスが裁判にかけられている時、3度もイエスを知らないと言ってしまいました。
 彼らは本来、真実な心でイエスを愛し、イエスに従おうと思っていたのでしょう。しかし、彼らは目の前に起こった困難のために、イエスを裏切ることになってしまったのです。このような弱い心を持った弟子たちのことをイエスはどのように見ておられたのでしょう。

1、全てを知っておられた
 イエスは弟子たちと一緒に食べられる最後の夕食(最後の晩餐)の時、すでに間もなくご自分が十字架につけられて死ななければいけないことを知っておられました。それも、ご自分が愛し、貫いてこられた弟子のユダに裏切られ、ペテロが3度イエスを知らないと言うことも、弟子たちがイエスを見捨てることもご存じだったのです。
イエスは今日も、わたしたちの外側の忠実さや謙遜さではなく、わたしたちの心の奥底にある、あの弟子たちと同じように、何かがあるとイエスを裏切ってしまいそうな弱さも、罪の汚れも全部ご存知です。その上で「自分の時が来たことを知られたので、世にいる自分のものを愛された(愛し抜かれた)。」のです。このような深く、絶大な愛は今日のわたしたちにも注がれています。

2、弟子たちの足を洗われた
 イエスは弟子たちの弱さ、裏切り、汚れを全部知った上で、彼らの足を洗うという、しもべの姿をとってくださいました。
 なんという謙遜なお姿でしょう。否、なんという偉大なお姿でしょう。わたしたちはこの「全き愛」「全き謙遜」な、お姿に圧倒されます。
 わたしたちは、人に裏切られ、傷付けられ、苦しめられた時、その人の泥で汚れた足を洗うことができるでしょうか。

3、イエスの模範に倣う
 イエスが弟子たちの足を洗い終わり、席について語られたメッセージは「それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。」というお言葉です。
 わたしたちはイエス・キリストの十字架と復活を信じ、感謝すると共に、この主の謙遜に倣い、社会にあっても、教会にあっても、家庭にあってもお互いが足を洗い合い、仕え合う者としていただきましょう。
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