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イースター(復活祭)礼拝宣教要旨 2014年4月20日(日)

主題「何故泣いているのか」 ヨハネ20:1~18 宣教:福田勝敏牧師

 イースター(復活祭)は、キリスト教会史上最古の祝日であると言われています。使徒の時代にすでに祝われていたようですが、イースターと呼ばれるようになったのは、ヨーロッパのゲルマン民族のオースターという春の祭の呼び名が変化したものだとも言われていますが定かではありません。
 現在のイースターは、紀元325年のキリスト教のニカイヤ会義で歴史的考察を重ねた末「春分の日の後の最初の満月から数えて最初の日曜日をイースターと定める」と決定されたことからこの時期に守られています。このことから、イースターはその年によって違い、約一か月の差が出てきます。
 日曜日と定められているのは、イエス・キリストが復活されたのが日曜日であったからです。

1、空っぽの墓
 イエスが十字架にかけられ、墓に葬られて三日目の朝、つまり週の初めの日曜日にマグダラのマリヤがイエスの葬られた墓に行きましたが、その墓の入り口は大きな石でふさがれていたはずでしたが、その石が転がされて入り口が開いていました。
 マリヤは急いでペテロに伝えると、ペテロとヨハネが来て中を確かめたところ、イエスのからだを包んでいた布はありましたがイエスのからだはありませんでした。
 今日も、イエスの納められた墓に入ることができます。しかし、その入り口の扉には「彼はよみがえられた、ここにはおられない」とマルコ16:4のみ言葉が書かれています。

2、何故泣いているのですか
 ペテロたちが、イエスの復活をよく理解できないままに帰ってしまった後も、マグダラのマリヤは墓の近くにたたずんで泣いていました。
 その時、復活されたイエスはマリヤに近づき「何故泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」と声をかけられました。さらに、まだ信じられないで呆然とするマリヤに「マリヤ」と名指しで声をかけられたのです。
 その時、マリヤの心は全く変えられ、大きな喜びにあふれたのです。「わたしは主にお目にかかりました」と弟子たちに伝えました。
 わたしたちも愛する者を天国に送ってからも、泣いたり、悲しんだりすることがあります。
 しかし私たちクリスチャンは、愛する者との地上の別れは寂しく、辛いと思うのですが、信仰を持って召された者はイエスのおそばに召し上げられていることを覚える時に悲しみは癒され、天国の希望が与えられるのです。

3、平安があるように
 イースターの日の夕方、弟子たちは家に閉じこもっていました。そこにイエスが現れて「平安があなたにあるように」(19)と言われました。そして、「その手とわき腹を彼らに示された」(20)とあります。これはイエスが両手両足をくぎで打ちつけられ、わき腹をローマの兵士によってやりで刺されたその後をお見せになったのです。その時「弟子たちは、主を見て喜んだ」(20)とあります。わたしたちも、この世の問題で悲しんだり泣いたりします。また、自らの罪のためにも泣くことがあります。しかしマグダラのマリヤが泣いていた時に「なぜ泣いているのですか」と語りかけてくださって、泣かなくても良い喜びを与えてくださったように、主は私たちに「何故泣いているのですか」と声をかけ、わたしの罪の身代わりとして、イエスが十字架に死に、よみがえってくださったことを教え、わたしたちに罪の赦しと永遠の命を与えてくださるお方として、現れてくださるのです。その時わたしたちの心には「主を見て喜んだ」と言える喜びと平和が与えられるのです。復活の主を信じ、平和と喜びの信仰生活を送らせていただきましょう。
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