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礼拝宣教要旨  「キリスト者の自由」 (2013年1月20日)

     聖 書:ガラテヤ人への手紙5章1節~15節

 ガラテヤ5章には、信仰によるキリスト者の自由と、愛による働きと聖霊による結実が記されています。
 つまり、キリストから与えられた自由をしっかり守り、再び罪の奴隷に逆戻りしないようにとの勧告から始まっています。
1、キリスト者の自由
 パウロ先生は本章の初めに「キリストは、自由を得させるために、私たちを開放してくださいました。」と言っています。旧約時代は、律法を守ることによってのみ救われるとされていましたから、律法によって罪から守られるというより、律法によってしばられた状態だったのです。
 つまり、律法は守れない者に対して、そのさばきが強調されました。そのために、神の御前に生活する時にも、「ああして神に喜ばれよう。こうして神に喜んでいただこう。」というより「ああしてはいけない。こうしてはいけない。ああしなければいけない。こうしなければいけない」と、常に裁かれることを恐れた生活だったのです。しかし、イエス・キリストは私たちを律法のしばりから解放するために、十字架にかかり、罪の性質とさばきから解放し、感謝と喜びに満ちた自由な生活と、罪に打ち勝つ自由な生き方を与えてくださったのです。
 「真理はあなたがたを自由にします」(ヨハネ8:32)「もし子があなたがたを自由にするなら、あなたがたは本当に自由なのです」(ヨハネ8:36)と言われる自由は、神から与えられ、聖霊によって心から湧き上がらせていただける喜びに満ちた自由です。
2、愛の実践を伴う自由
 キリストの十字架と復活を信じて、私たちがいただく信仰の自由が、律法から自由にするということは、何をしても自由で、罪を犯すことさえも自由で、平気で、律法が全く無意味な存在になるというのではありません。むしろ、キリストによる自由をいただいた人たちは、喜んで罪の誘惑に打ち勝ち、神からの愛の行動を実践することができるようになります。
 愛のあるところに信仰が働きます。正しい信仰の働くところに、積極的な規律が守られ、愛と喜びが満ち溢れます。「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません」(ガラテヤ5:22,23)。互いに憎みあい、批判しあい、傷つけあうところに正しい信仰も本当の自由も育つはずがないのです。これらの自由に生かされる秘訣は、ただ聖霊に従いお任せすることです。
3、仕えあう自由
 キリストによる自由な信仰をいただくと、サタンは何とかしてそこから引き離そう、打ち壊そうとして働きかけてきます。
 ほんのわずかなイースト(パン種)が、練粉全体を膨らませるように、不信感や罪は小さなことから始まり、気づいた時には取り返しがつかないほど大きくなっていることがあります。
 罪を犯す自由ではなく、キリストを信じ、罪ゆるされ、キリストの復活の新しい命によって与えられる信仰の喜びと自由によって、隣人を愛するお互いでありたいものです。ここに真の「キリスト者の自由」があるのです。
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