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礼拝宣教要旨    2014年7月20日(日)   宣教:福田勝敏牧師

主題「悲しみの人」        聖書:イザヤ53:1~12   
 
悲しみの人、苦難のしもべとしてのキリストの姿を最も鮮明に預言している箇所がイザヤ書53章です。
 イザヤは、紀元前750年前後に活躍した預言者ですが、ここまでリアルに預言されていることは驚くべきことです。ある人々は、「この個所は、あまりにもリアルすぎるので、キリストの生涯を見た人が、後代に挿入したんだろう」と言っていましたが、死海写本が発見された時この預言書の真実であることが裏付けられたと言われています。

1、私たち
 冒頭に「私たちの聞いたこと」と書かれていますが、イザヤは自分を含めたイスラエルの民を指しているのでしょうが、これは明らかに現代のわたしたちも含まれていることを教えています。
 また、ここで「彼は」と言われている人は、イエス・キリストを指しています。私たちのために「若枝のように」生まれてくださり、苦しみ、悲しみを経験してくださったお方は、私たち、私のためであると信じる者でありたいと思います。

2、悲しみの人
 神の独り子であり、若枝のように芽生えられたお方でしたが、だれからも尊ばれません。人々からあざけられ、のけ者にされ、疎外される存在でした。
 悲しみの人、苦難のしもべの苦しみは、彼自身に原因があったのではなく、私たちのためなのです。自分の悪事の報いを受けたのではなく、本来、苦難を受けるべき私たちの身代わりとして苦しめられ、刑罰を受け、十字架の死まで味わってくださったのです。
 しかも、苦しみを受けておられる間口を開かれませんでした。その姿は「ほふり場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。」と言われています。

3、主のみこころ
 「主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた」という6節のことばが、「彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。」という言葉と共に、十字架の姿の意味を明らかにしています。
 また、私たちはこのイエス・キリストの苦しみと、十字架がわたしたちのためであると信じ、イエス・キリストの苦しみ、悲しみを負わせたのは、自分の罪のためであることを認めて、悔い改める者でありたいと思います。
 その時、私たちの罪は許され、神の子とされ、死んで葬られたお方が3日目によみがえられたことを信じる時に永遠の命を与えられるのです。
 イエス・キリストを苦しめ、悲しめられた神のみ心は、私たちが罪を悔い改め、復活を信じるようになることだったのです。
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