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礼拝宣教要旨    2014年8月17日(日)   宣教:福田勝敏牧師

主題「人とともに住む神」    聖書:イザヤ57:15~19   
 
イザヤは、イスラエルの民がアッシリヤの勢力を恐れ、恐怖さえ覚えていることに対して、神様に信頼するように呼びかけています。
 歴史を支配しておられる神様の民に与えられる平安という希望のメッセージを語っています。そして本章も前章と同じように、直接的にはバビロン捕囚からの解放ですが、救い主が来臨される希望の預言であり、究極的には新約の現代における再臨のキリスト、終末的永遠の希望のメッセージでもあります。
 しかし、この平安は、聖なる民として聖く、神を畏れて誠実に歩む者に与えられるものです。したがって、私たちは聖なる神様の前に汚れと罪を徹底して悔い改め、常に神様を仰いで歩むことが求められています。

1、誠実に歩む人への報い   1~2
 義人や誠実に歩む人が世の中から忘れられ、逆境の道を歩くようなことがあります。時には、この世にあっては何の報いも与えられず「自分の寝床・死の床」に着かなければいけない人もあります。しかし、主に悔い改め、義に生き、神様に誠実な人は死に直面しても平安が取り去られることはないのです。むしろ、神からの永遠の冠が与えられ、天の御国への約束が与えられるのです。「今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけではなく、主の現れを慕っているものには、だれにでも授けてくださるのです。」(Ⅱテモ4:8)とパウロが語っている通りです。

2、神に敵対する者の姿   3~13
 卜者(占い者)、姦夫、遊女のしていることは神様に対する敵対であり、背きなのです。
 聖書は、暴行や盗み、汚れなどと共に、占いや偶像礼拝を罪と定め、姦淫、背き、敵対と言われます。選民イスラエルは、これらの罪を行い神様の恵みから離れていました。
 私たちはどうでしょう。神様の前に偶像礼拝や占いの罪を犯し、敵対する歩みをしてはいないでしょうか。「あなたはわたしを思い出さず、心にも留めなかった。わたしが久しく黙っていたので、わたしを恐れないのではないか。」と11節にある問いかけは現代の私たちへの問いかけでもあります。

3、人とともに住んで下さる神   14~21
 先にも語られたように、神様に敵対して悔い改めず、神様に背いて歩んでいる者には、神様は必ず裁きを実行されます。
 しかし、罪を悔い改め、神に誠実に歩もうとする者の罪はゆるし、祝福を与え、更に常に神様がともに住んで下さるというのです。一緒に歩んで下さることも感謝ですが、一緒に住んで下さるとはなんという幸いでしょう。
 一緒に住んで下さる方は私たちの喜びも悲しみもすべて知ったうえで、慰めと祝福を与えてくださるのです。
 それらを与える保証とされたのが、イエス・キリストの十字架と復活です。私たちにこの祝福を与えるために十字架について、私のために犠牲となってくださったイエス・キリストを信じ、悔い改めて神の子とされた者の自覚を強くし、神様とともに住むことの幸いを味わいつつ生活させていただきましょう。
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