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礼拝宣教要旨   2014年10月5日(日)   宣教:福田勝敏牧師

主題「神に愛される者」」     聖書:イザヤ63:7~14a   
 
本章の初めに出てくる「エドム」とは、アブラハムの子イサクの子である「ヤコブ」の双子の兄弟の兄である「エサウ」の子孫にあたる民族だと言われています。このエドムはヤコブの子孫であるイスラエル民族とは常に敵対していました。そのために、神から裁きを受ける立場にあったのです。

1、罪を厳しくさばかれる神   1~6
 前述のエドムがイスラエルが困難に直面した時に援助をしなかったこと、また、「ボツラから深紅の衣を着て来るこの者」と言われる凶暴で、血を流すことを好む者たちがイスラエルを襲って来ようとする時、神はエドムを厳しくさばき処罰されます。ここを見ると神は、厳しく、情け容赦のない方のように見えますが、確かに神は罪のさばきについては厳しく徹底しておられるお方です。しかし、神の前に罪を悔い改め、従おうとする者にはその御本質である愛を貫かれるお方でもあります。

2、神に愛される者       7~14a
 イザヤはここで、神に愛される者がどのような者であるかを語っています。まず、神はイスラエルを一方的に愛されました「まことに彼らはわたしの民、偽りのない子たちだ」(8)と言って、イスラエルを愛されました。イエス様も「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです」(ヨハネ15:16)と言っておられます。
 これは私たちクリスチャンは、自分の意思や決心で神を選んだのではなく、神の側から私たちを選んでくださったのです。
 したがって、神がイスラエルを愛されたのも、私たちを愛してくださるのも人間の側の条件ではありません。ただ神の一方的な愛によるのです。
 しかし、愚かな私たちが神の選びの愛を信じることをせず、神の前に罪を犯し、永遠の滅びに向かっていました。そんな私たちのために御子イエス・キリストをこの地上に送り、十字架につけ、私たちの贖いとしてくださったのです。それでも、私たちはときには聖霊を悲しませるような歩みを繰り返す者です。「神の聖霊を悲しませてはいけません」(エペ430)と言われています。私たちは、神に愛されている者として、神を愛し、神に選ばれた者にふさわしい歩みを続ける者にしていただきましょう。

3、神に愛される者の祈り    14b~19
 イザヤは、神に愛されていることを実感しながら、それを自分自身のこととして信じられないイスラエルの民のために祈っています。
 この祈りは、神に対して挑戦的ともいえる祈りです。なぜなら、イザヤは神はイスラエルの父であり、贖い主であると信じているからできた祈りです。
 私たちも大胆に、神様に毎日祈りましょう。なぜなら、私たちの信じる神は、私たちを造り愛してくださっている父なる神様であり、御子イエス・キリストを十字架にまで架けて罪の贖いとしてくださったお方なのです。
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