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礼拝宣教要旨    2014年10月12日(日)   宣教:福田勝敏牧師

主題「終末の祈り」」      聖書:イザヤ64:1~12   

 この章は前の章からの続きで、預言者イザヤの祈りです。また祈りの中心は、厳しい審判者である神による最後の審判の厳しさです。

1、さばきと救いの神    1~4
 神は、罪に対しては徹底した裁きを行われるお方です。また、キリストの再臨に伴う最後の審判は、完全なさばきと滅びがあるのみです。
「主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。」(Ⅱペテ3:⒑)とペテロは語り、パウロは「兄弟たち。それがいつなのか、又どういう時かについては、あなたがたはわたしたちに書いてもらう必要がありません。主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなた方自身がよく承知しているからです。人々が「平和だ。安全だ」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります」(Ⅰテサ5:1~3)と言っています。つまり、神の最後の審判は、キリストの再臨に伴って行われます。そしてそれは天地万物が大音響と共に崩れ、滅びるというのです。この完膚なきまでの裁きから逃れることができる者がいるのでしょうか。
 預言者イザヤは「あなたは迎えてくださいます。喜んで正義を行う者、あなたの道を歩み、あなたを忘れない者を」と言い、ペテロは「しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。そういうわけで、愛する人たち。このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、励みなさい」(Ⅱペテ3:13,14)と言っています。
 つまり神のさばきは、完全でそれから逃れることのできる罪人はいません。しかし、神の前に罪を認め、キリストの十字架と復活を信じ、真実に悔い改める者は、永遠の御国である新しい天と地に迎え入れていただくことができるのです。

2、真実な告白   5~7
 イザヤは、神が厳しいさばき主であることを認めると同時に、イスラエルを愛し、信じる者を愛してくださる愛なるお方であることを祈っています。しかし、彼は祈りのうちに、イスラエルも、自分も、この愛なる神の前に正しく歩んでいるだろうかと反省する時、自分を含めて、すべての人々は弱く、罪深く、神の前には立つことのできない存在であり、神から遠い存在になっていると告白しているのです。

3、神に対する絶対信頼の祈り   8~12
 イザヤは、自分を含めた全人類の罪深さと弱さを認めた上で、「しかし、主よ。今、あなたは私たちの父です」と訴え、迫っています。神の愛と慈しみに信頼した強い求めです。
 イザヤが語るように、神は創造者であり、陶器師であり、すべては神の主権のもとにあるのです。
 それで、最後の審判の時には信じる者、神に愛される者を救い、神の栄光の回復が実現されることを望み、終末にもなお真の平和への期待が与えられるのです。
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