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礼拝宣教要旨   2014年11月2日(日)  宣教:福田勝敏牧師

主題「神の御前での礼拝」」    聖書:イザヤ書66:18~24   
 
イザヤ書最後の書です。ここも65章に続いて、イザヤの祈りに対する神の答えの書です。またここはエルサレムの崩壊とその回復、さらに救い主の再臨による新しい時代の到来、すなわち天地創造から始まった人間世界の完成点としての終末の新天新地の栄光が鮮やかに描かれています。

1、天地の支配者である神    1~2
 この天地万物は全能者である偉大な神の手によって造られ、支配されています。ここで神は「わたしのために、あなたがたの建てる家は、いったいどこにあるのか」と言っておられますが、これは、偉大な創造主である神をお入れする住まいなどはあり得ないことを強調しておられるのです。
 この偉大な神の前にへりくだり、神を畏れて正しく歩む者には神自ら目を留めてくださり、祝福の対象としてくださるのです。

2、心を見られる神      3~17
 牛をささげ物としても、羊をささげても、穀物をささげても、乳香をささげても、それがただ形式だけのものであれば神は喜ばれません。アダムの長男カインは自分の栽培した地の作物を持って来てささげました。アベルは羊の初子であり最上のものをささげました。神が受け入れられたのはアベルの羊であって、カインの地の産物ではありませんでした。アベルのささげ物は初子であり最上のものでしたが、カインのささげ物には初穂とか最上の物とは記してありません。アベルは心からのささげ物をし、カインは形式的なものだったと思われます(創4:3~5)。また、サムエルによってダビデが選ばれた時に、神は「人はうわべを見るが、主は心を見る」(Ⅰサム16:7)と言っておられます。
 私たちのささげている礼拝は、神の御前に真心をもって捧げられているでしょうか。私たちの献金は真心からのものでしょうか。私たちの奉仕は真心からされているでしょうか。イエスがレプタ銅貨2枚をささげた女性をほめられた理由は彼女の真心を見られたからでした(マルコ12:42~44)。
 神は、厳しくその真心を求められていますが、真心を認められた人々に対しては素晴らしい祝福の約束を備えてくださっています。

3、祝福の約束を下さる神    18~24
 イザヤ書の最後の部分ですが、ここには主に心から仕え、従う者に対する祝福の約束が記されています。この最後の部分にも神に背く者に対するさばきがありますが、ヨハネの黙示録22章にしるされている、終末に神によって造られる新天、新地がいつまでも続き、その祝福が子々孫々に約束されているのです。この神の約束にあずかった私たちは、毎週の礼拝を神の前において、真心から捧げることが求められています。
 神は真心をもって私たちを愛してくださいました。その結果がイエス・キリストの十字架であり復活です。この神の真心に感謝し、お応えしてお仕えしましょう。
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